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人間関係

人間関係、全人類共通にして最難関の問題だと思う。その割に生活する上で切っても切り離せないというのだから本当にタチが悪いものである。ネットの発達によって本当に顔も名前も知らない人間との関係性まで構築するケースが出来た現代ではさらに難度を上げていると思う。

ただ、相性の良し悪しというものは少なからず存在する。極論ではあるが、合わない人間のことは大して考えなくても良いと思う。考え抜いたところで無理なものは無理なのである。関わりが少ない中で良くない話を聞くパターン、往々にして起こりうるものであり、この時点で関係を構築しないと決めつけることは勿体なく感じてしまうが、実は関わりがない時点で嫌悪感を抱いているということは相性の悪さが確実に存在することを示している(たとえ一人称視点からの嫌悪感でなくとも二人称視点で嫌悪感がある場合、相性は悪いと言いきって差し支えない)。

 

 

あまり指摘されることは無いが、かなり人間関係の構築に苦労した方だと思う。その苦労の結果「何も考えずにとにかく喋る!反省しない!」という頭の悪いモットーを確立させ、雰囲気で上手くやれていると感じる(兎にも角にも頭を回さないからそう感じるだけという線もありえる)。おかげで初対面でもある程度会話をしようとするため、元々初見で相性が悪かった聞き上手な人ともある程度仲良くなれるようになったと思う。

 

 

仲の良い悪い、一人称視点での感じ方は意外とアテにならないと思う。特に嫌いじゃなかった後輩から酔った勢いでとんでもない悪口を言われた時はさすがに傷付いた。ただ、彼との距離を取ったことで見えてきたのは彼が相当嫌われている事実である。日頃は敬意が無いだけで人畜無害、空腹時だけ機嫌が悪くなる1年生にボロクソに言われてるのを見た時、距離を取るのがあまりにも自然なことに感じてしまった。近くなった人間と離れることも(なにかの大きなキッカケは確実に必要ではあるが!)また必要なことだと気付かされた。

 

 

特に何もしてない(大きく危害を与えることをしてないの意味)にも関わらず嫌われること、よくある事だと思う。部内の1学年下の女子に嫌われているのは遅刻の罰金など部の規則に関して厳しくしていたからという部分と同級生が甘いという絶対嫌われるセットを揃えていたからという自覚はあるが、2学年上の男に嫌われたことだけは納得していない。前述の相性の話に戻るが、卓球という競技での相性がありえないレベルに有利だったことに加えて他者からの私の評価が低かったことでプライド(どう考えても対策してないのが悪いが)を傷付けてしまったのだろう。

この関係性について、どうにか解決できる方法はあるのだろうか?1つ挙げるとすれば、わざとゲーム練習で負けることがあるが練習に真摯でない事は本番に出てしまう。よって絶対に取れない選択肢である。ボコボコにして勝った上で下手にアドバイスを求めるのは逆撫でしかねないし、日常会話も拒まれていた。

結論、「無理なものは無理」なのである。こちらから出来ることが見当たらず、向こうも歩み寄る姿勢が見えない。何も出来ないのである。

 

 

大学に入ってから一貫して「割り切りと妥協」を意識するようにしている。この世に完璧(or完璧に見える)人間は存在するかもしれないが、自分はそれになれないからである。競技の実績、勉強の出来、就活の上手さどれを取っても勝てない人間はこの世にごまんと存在する。大学に入ってから勝負しなければならない相手のプールが確実に広がっていることを感じ、高校生までの「自分は強い」という考え方ではメンタルを保つことすら出来ず、余計に悪い結果を引き寄せることになることを自覚したからだ。人間関係の構築に関しても同じことが言える。上手いやつは本当に誰とでも仲良くなってくるのである。その良い部分を吸収することは当たり前として、自分が元からできる範囲から少しだけ広げられれば良いな、という気持ちで他者と関わるようにし始めた。

これで仲良くなれる人は確実に増え、不快に感じる人間を確実に遠ざけることができるようになった。

完璧な八方美人とは本当に存在するのだろうか?是非腹の中をしっかりと見てみたいものである(腹の中を見せないから八方美人であり続けられるが)。

 

 

 

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これが社会で通じる訳ないので、また新しく思考をアップデートしなくてはならない。人間とはつくづく成長を強いられる生物である。